それは、終わりの色に似て

一度、ここには来たことがあった。
まだ白薔薇が傍らにいた頃。
まだ、ルージュと出会っていなかった頃。
リージョンシップの行き先案内掲示板の真ん中に記されていたこの街の名前。
小さい頃、何故か憧れていた街の名前。
その頃の私たちは、行く宛てなんてどこにもなかった。
追われる立場、それはどこに行っても変わりはしない。だから、どこに行ってもよかったんだ。
だから、この街に行くことに決めた。

初めて来たときのこの街は、焼けた赤茶色やクリーム色など、落ち着いた色の煉瓦が敷き詰められ、
積み重なって出来た、きれいな街だった。
幼い頃、名前だけ聞いて、どんなに素敵な街なのだろうと想像したが、実際の街はその内容とはかけ離れていた。
その頃の自分自身なら、拍子抜けしたのかもしれない。
しかし、数週間前、12年ぶりに目覚めて以来、人としての暮らしをしていたのなら、
けして見ないだろうものをいくつも見てきた私は、むしろ”普通の風景”にほっとした。
魔法王国の名を関する街だ。普通の街では見られないものがこの街には多々あった。
だけど、ここは人の街だ。人間が作った街だ。
そして誰も私たちを知らない。だから、奇妙な行動を取らない限り、誰も私を化け物と呼ばない。
妙に居心地が良くて、私たちはこの街におよそ2週間ほど滞在した。

この街、このリージョンの出身だという、ルージュと出会ったのはそれから1週間後だ。
おそらく、いいえ、絶対、彼がこの世に生を受けてから見てきた風景は、こんなものではなかったはずだ。
こんな、血の赤で瓦礫が彩られる街ではなかったはずなのだ。






それは、終わりの色に似て





緑から赤へ、赤から茶へ、茶から黄色へ。
春夏の役割を果たし、色褪せた落葉樹の葉が、湿った風に吹かれてひらりと舞い、地に落ちる。
この街のシンボルの1つだった噴水は、モンスターの攻撃によって破壊され、行き場を失くした水が
煉瓦の瓦礫の隅々を縫って、周囲に流れ出ていた。
モンスターの攻撃を受け、また、崩れた建物の下敷きとなって、事切れた人は何人もいた。
生きてはいるものの、息も絶え絶えである人や、この状況を嘆く人も何人もいた。
彼らのように、両の足でしっかりと立ち、時折現れる敵に立ち向かえる人は少ない。
この街に来てから何度目か分からない戦闘を終えてから、ルージュは壊れた噴水の傍で立ち尽くし、高く遠い空を見上げた。
日没が迫る空の彼方から、斜陽が差し込み、今この地上にあるもの全てを橙に染めていく。
ルージュの銀灰色の髪も、夕緋色に染まっていた。
虚空を見上げるルージュの横顔を、アセルスは直視出来なかった。
だから、表情をはっきりと伺うことは出来ない。
……泣いているのだろうか?
過酷な運命を受け入れ、もう1人の自分を殺し、帰ってきてみれば故郷は崩壊していた。
そして、彼自身、自然にあるように母胎から生れ落ちたのではなく、作り出された人間だった。
彼と、彼の片割れはもともと同じ人間だった。同じ人間同士で殺しあっていた。
泣くどころか、人一人が壊れるにも十分な条件だ。
でも、それでもルージュは泣かないのだろう。だけど、壊れはするかもしれない。
アセルスは、何故か、そんな気がした。



一体、僕らは何だったのだろう。
生まれ故郷が瓦礫に埋まるだけの街になったなんて、どうでもいい気がした。
どんなに栄華を誇った文明も、驕ればいずれ朽ち果てるのは、歴史が嫌というほど証明している。
今このときがこの王国の終焉の時。それでもいいじゃないか。
最初から、僕らを、僕たちを犠牲にし続け、真実を隠蔽し続けてきたこんな国など、滅びて当然じゃないか。
なのに、僕はなぜこの国を救おうとしているんだろう?
本当に救えるか、それは分からない。だけど、ほとんどの術士が地獄から出でる魔物の相手で精一杯な現状で、
もっともその可能性があるのは、二人分の魔力を持つ僕と、一緒に来てくれたみんなであることは間違いない。
しかし、この国に住む人間達は、救う価値などあるのだろうか。
(落ち着け。驕っているのはお前の方じゃないのか)
そうだ、落ち着こう。地獄について、双子の真の使命について知っていたのは、王国の中でも上に立つ連中だけだ。
少なくとも、この国で普通に暮らしを営んできた人たちに罪はない。
この国の全てを見捨てるなど、正しい判断ではない。
全てを壊してしまいたくなるこの衝動は、なんとしても抑えなければいけない。
ああブルー。
もし、僕ではなく、君が勝っていたのなら、悩みなどしなかったのだろうか。
愚直に王国を信じていた君なら、故郷を救うことに躊躇いなどしないのだろうか。
僕にも君にも、守りたいものがあった。僕に死ねない理由があったように、君にも死ねない理由があった。
実力は均衡していた。僕が勝ったのは、結局、運の差に過ぎないのだと思う。
なんて馬鹿な僕。今更、あの時死んでおけば良かった、なんて考えてしまうなんて。
(本気でそう思うなら、お前は真性の大馬鹿者だ)
ああ、そうだろうね。本当にそうは思ってないよ。少し迷っただけさ。
君の生きたかった想いを背負って、僕は生きている。僕にはまだ、死ねない理由がある。
あいつらはきっと、僕らを捨て駒にするつもりなんだろうけど、そうは行かない。
あの異次元への扉の先に何があるかは知らないけれど、僕は必ず帰ってくる。
もう一度、この故郷に。
(それからどうするつもりだ?現体制を作った人間を粛清するつもりか)
それからのことは、帰ってきてから考えるよ。
あいつらが、僕を幽閉でもするつもりなら、アセルスを頼ってファシナトゥールに行くのもいいかもしれないね。
そこで、妖魔になって、いつぞや会った妖魔みたいに、気楽に暮らすのもいいかもしれない。
今のアセルスなら、それくらいどうにか出来るんじゃないかな。


「明日、あの術士が言っていた『地獄』とやらに行くよ。
僕もあの対決以来、随分力を付けた。だけど、それだけじゃ足りない……と思う。
今まで以上に危険な場所だろう。だけど、ついてきてくれないか、アセルス」
「ついてきてくれないか、なんて、他人行儀なことを言わないで。
貴方はオルロワージュと決着を付けるときも、一緒に来てくれた。
逆に来るなと言われても、行くつもりだよ」

散らばった瓦礫をそこだけ適当に片付けて、折れた木の枝を集めて、術で火をつけて焚き火を作った。
暖を取るだけではなく、モンスター避けも兼ねている。
人々が眠る時間でも、モンスターは容赦なく襲い掛かってくるのだ。
マジックキングダムがまともな方法で外界と連絡が取れなくなって1週間。やっと、IRPOが動きだすらしい。
ヒューズが上と掛け合ってくれたおかげで、これでも予定より早く動いた。
ようやく通信施設の修理が完了し、まず第一に食糧が全く足りていない、と通信を送ったら、
滋味豊かなヨークランドの地から救援物資を大量に送る、と返事が返ってきた。
これはなんと、リュートが気を利かせてくれたとのこと。
他にも、救援活動にヒーローのリージョン、サントアリオから本物のヒーローが数名駆けつけると連絡がきた。
この中には、最近姿を消していたアルカイザーも含まれているとのことである。
他にも、何人ものブルーとルージュのかつての仲間たちが、マジックキングダムの復興に力を貸してくれると言ってくれた。
全員、対決の意味も、その結果も、受け入れている。だから力を貸すのだと、誰かが言った。

「いくら私が新しい主になったとはいえ、ファシナトゥールからは正式に救援は出来ないみたいなんだ」

申し訳なさそうにアセルスは言った。
妖魔が善意で動くなど……ましてや、人間を助けるなど、確かにありえない話である。

「いいよ。アセルスがついて来てくれただけでも、十分心強いから」

それは事実だ。この言葉には、彼女に対してのフォローの意味も兼ねている。
しかし、妖魔の君であるオルロワージュを倒し、新たなファシナトゥールの主と……女王となったアセルスに、
適う者はそうはいない。
女王といっても、もともとは人間の庶民として生まれた身。
圧倒的な力を以て何かを支配しようとは全く考えてはいない。
しかし、この千年間、ファシナトゥールはオルロワージュという王の秩序に支配されていた。
……あまりに長く、変化のない時だったために、段々と淀んでいった、とはラスタバンの弁だが……
その支配から突然開放されても、ただ不安定になって、いずれは混沌に飲み込まれてしまう。
だから、それまでは名前ばかりでも女王となり、支えていかなければならない。

「少なくとも、白薔薇が目覚めるまでは生きていようと思う。
その間に何かいざこざが起きたりしたら、解決できるように頑張ってみるつもり」

まだ女王になりたてだから、上手くやっていく自信はないけれどね、と困ったような笑顔でアセルスは付け足した。
それは、ルージュが今までに見たことのなかった類の笑顔だった。
12年の眠りから目覚め、赤い血に青が入り混じり紫となり、それからおよそ半年の間で、
恐らく普通に暮らす人間の一生だけでは足りない程の悲しみ、苦しみ、そして憎しみを味わった。
その感情の波の中で、彼女は彼女自身を探し続けた。自分が一体何者であるのか、その答えを探し続けた。
答えは見つかったらしい。そうでなければ、あんな穏やかな顔を見せるはずはないから。
今までのアセルスは、引き攣り、張り詰め続けたような笑顔しか見せなかったから。
今、自分に与えられたもの全てを受け入れ、背負って生きていくことを選んだ。
答えを見つけ、自分の道を選んで、彼女は歩き始めた。これまでの道は、アセルスの宿命が彼女に押し付けた道だ。
彼女が今歩くのは、彼女が選んだ彼女だけの道。
半年の間の激情の荒波から開放された彼女が、これからやらなければならないことは山ほどある。
しかし、それは彼女自身が選んだ道だ。だからだろう。あんな風に笑えるのは。

明日、『地獄』へ向かって、敵を叩いて、それから、地上に戻ってこれたとして……
僕は、今のアセルスのように笑えるだろうか。
笑えるようになりたい。いや、笑うんだ。今見た笑顔だけじゃ足りない。思いっきり笑うんだ。
これまでの人生で起きた辛いことや悲しいこと全てを吹き飛ばせるくらい、笑ってやる。

「……ルージュ、絶対、生きて戻ろう」
「分かってるよ、アセルス。
 さ、今日はそろそろ休もう。まだ早い時間だけど、明日に備えて」

アセルスは目を大きく見開いた後、ルージュが立つ西の方向から視線を逸らし、彼の言葉に曖昧に頷いた。
決して楽観は出来ない状況なのに、彼はごく自然に、穏やかに微笑んでいたから。

太陽が西に沈む直前の一瞬の光。昼から夜へと変わり行く空の色。
ルージュを後ろから照らしたその色は、終わりの色によく似ていた。

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